俺はプロレスが大好きだった。
特に新日本プロレスのストロングスタイルに夢中だった。
懐かしの1枚!山田(ライガー)に舟木に橋本、そして猪木がいる。
あれは大学の頃だっただろうか
俺の地元の体育館に新日本プロレスがやってきた。
田舎の興業である。
酒を飲んでやじって観戦している人もいたもんだ。
その日も酒を飲んで汚いヤジを飛ばしていたヤンキーがいた。
今でいうDQN野郎。
まあ、大声で迷惑なほどふざけたヤジを飛ばしていた。
注意したくても怖い風貌で誰も何も言えない。
そんな時、そのDQNをつかんで通路口まで引っ張っていった新日本の若手がいた。
そのDQN野郎は凄い形相で、「なんだ、こらぁ!」と喚いていたが
丸刈りのその若手は、いきなり1本背負いで投げ飛ばしたのである。
DQN野郎が身につけていた角度の付いた眼鏡は割れて吹っ飛び
いたたまれなくなったそのDQN野郎はそそくさと退散した。
その丸刈りの若手こそ橋本真也だったのだ!
ホント格好良かった。
試合よりもメチャ感動したのを覚えている。
後に聞いた話だが、当時プロレス会場で暴れる客がいた場合、
橋本真也が相手をしたそうなのだ。
そのトンパチとケンカ強さは抜きに出ていたのだろう。
以来、彼を注目してプロレスを見てきた。
●凄い威力のミドルキック
●重そうなフライングニールキック
●必殺DDT
●滑稽な袈裟斬りチョップ
●破壊力抜群の三角絞め
●懐かしいトニーホーム戦の水面蹴り
彼のプロレスには華があった
Uインターの総大将「高田延彦」にDDTを決めた時なんて鳥肌が立ったもんだ
あのころが彼の最高潮だった
その後、新日本プロレスを解雇され、ZERO-ONEを立ち上げる。
とても彼に経営なんて似合わないと思っていたが…
橋本なりに頑張ってきたが、経営の悪化、団体の崩壊、フリー宣言、右肩の手術と悪い話ばかり聞くようになった。
そして、2005年7月11日、脳幹出血で倒れ帰らぬ人に…
俺は彼の愛すべき言動を刻んでおこうと私はこんな本を買って追悼した。
紙の破壊王~僕らが愛した橋本真也
ほぼ対談集のような本だが面白いエピソードばかり。
俺のお気に入りは「破壊王人生相談」!
雑誌に掲載されていたというコーナーなのだが思わず吹き出してしまう数々の迷回答。
例をひとつ挙げると
そんな相談に破壊王は「時の流れに身を任せろ!自然と答えが出るもんだ。それまではセックスに溺れていろ!
さすがだ!さすがは破壊王!子供のような心で次々と相談に回答していく(爆)
今日は2015年7月12日。
破壊王の命日から10年が経過してしまった。
時の流れは速い。橋本真也のことを思い出すことなんてほとんどなくなっている。
今日は久しぶりに「紙の破壊王~僕らが愛した橋本真也」でも読んで懐かしもうと思う。
破壊なくして創造はなし、悪しき古きが滅せねば誕生もなし、時代を開く勇者たれ!