今日はいつものちょいエロではなく悲しい話。
あのビル・ロビンソンが亡くなってしまったという。
享年75歳。米国・アーカンソー州で死去したらしい。伝説のプロレスラーがまた一人いなくなってしまった。寂しい・・・
ビル・ロビンソンといえばアントニオ猪木との60分ドローの試合が一番の名勝負として語り継がれている。事実、俺が小学校の頃だったのだが、ブラウン管にしがみつき、最後の数十秒の猪木の攻撃には家族全員で大声で叫んだものだ。
確か押されていた猪木が卍がために入ろうとした時間帯だったと思う。
あの試合。お互いの師匠がカール・ゴッチ。師弟対決として注目を浴びていた。後で知った話を聞くとドロドロとした背景もあったようだが、素直に私のプロレス名勝負として脳裏に深く刻んである。
ビル・ロビンソンの強さは本物だった。英国出身らしくキザな出で立ちとしぐさにはしびれたものだ。後年、少し大袈裟だったのが子供心にガッカリしたものだが・・・
ビル・ロビンソンと日本との関係は深く、初来日は国際プロレス。当時の国際プロレスはアンドレ・ザ・ジャイアントなど大物が多く来日していたのだ。その後、新日本プロレスで猪木と名勝負をするものの、全日本プロレスへとリングを変えてしまった。ここからは新日本派の俺としてはあまり好きでなないロビンソンになってしまったが、ジャンボ鶴田と名勝負を繰り広げることに。。
ビルロビンソンといえばセメントの強さにも定評があった。マジにたたかえばメチャ強いとレスラー仲間から恐れられていたのだ。ま、カールゴッチのような男だったのだろう。そんなビル・ロビンソンにUWFインターナショナルが目を付けコーチさせたのだが、その時のビル・ロビンソンは太りすぎで50歳を過ぎていた。ま、あの時ニック・ボックウインクルとエキビジョンを戦ったのが俺には最後のビルのプロレスマッチ。
今夜はYouTubeでビル・ロビンソンでも見ながら一人懐かしみたい。こう考えると俺も随分年を取ったものだ。
さらば人間風車ビル・ロビンソン。
合掌・・・